「らい予防法」とその内容 |
1996年4月1日に廃止された「らい予防法」の起源は、 1907年制定の「癩予防ニ関スル件」(明治40年法律第11号)にあります。この法律をうけて1909年、全国を五地域にわけ、
各地域に一つずつ道府県連合立の公立療養所が設けられ、放浪する患者の収容が開始されました。そしてこの法律が改正を重ねながらも、 日本におけるハンセン病対策の法的根拠になっていきました。 |
1916年
1930年
1931年
1938年
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予防法の施行細則改正、療養所長に懲戒検束権付与される
岡山県に国立長島愛生園開園(初めての国立療養所)
「癩予防法」改正 全患者を強制隔離の対象とする
国立ハンセン病療養所・栗生楽泉園に「特別病室」と称する患者監禁施設がつくられる全国から療養所に反抗的とみなされた患者が送りこまれ、 47年の廃止までに22名が餓死、凍死、衰弱死、自殺においこまれた |
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1953年制定の 「らい予防法」の法律は、第1章総則、第2章予防、第3章国立療養所、第4章福祉、第5章費用、第6章雑則の計28条からなっています。
とくに問題とされているのは、第6条の「国立療養所への入所」です。ハンセン病の疑いがかけられた人は、 都道府県の定める指定医の診断をうけなくてはなりません。拒否しても最終的には強制的に入所させることになります。
次は15条の「外出の制限」です。家族の危篤、葬儀、り災、本人が法にふれることをおこない、 裁判などのため出頭せねばならない以外は一度入所した患者は生涯療養所から外出することは認められません。
その他、広範囲の就業規則、患者の出た家の消毒など、強力な感染を念頭においた条項が続きます 。しかしなによりも人権上最大の問題とされたのは、一貫して退所規定がないということです。
すなわち、ハンセン病にかかれば出口のない療養所へ送りこまれ、一生そこで過ごさねばならないのです。 これは、この法律が、ハンセン病の予防を目的としたものでなく、療養所という名の収容所に送りこみ、
患者の撲滅させることにより社会を救う(社会防衛崘)ことを第一の目的とした法律だったからです。 |