人権トピックス2

ノーマライゼーションの社会に向けて 花と蝶の画像

〜ユニバーサルデザインとユニバーサルサービス〜

すべての人が使いやすい製品や環境を目指す取り組みを「ユニバーサル」といいます。年齢や性別、障害の有無などにかかわらず、使いやすさを求めていくと、そこにはユニバーサルな情報やサービスの提供が可欠になってきます。

今回は「ユニバーサルサービス」の考え方と取り組みについてのコラム(一部)をご紹介しましょう。

すべての人が響きあう社会へ
                〜井上 滋樹氏(全国ユニバーサルサービス連絡協議会代表)〜

 ユニバーサルサービスという言葉の定義ですが、私は、「より多くの人に公平な情報とサービスを提供すること」だと考えています。 障害の有無とか、年齢や性別などにかかわりなく、必要とされる情報やサービスは、誰もが享受できるというのが、基本的な人権であると思います。

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 一方で、ユニバーサルデザインはハード面の改善を考え方のベースにしています。昨今ユニバーサルデザインの意味も広がる傾向にありますが、やはりモノづくりの志向が強いと思います。ユニバーサルデザインの、ソフトの領域、情報サービスの領域での考え方が、ユニバーサルサービスだといえると思います。

ユニバーサルサービスが目指すところは、より多くの人が、同じように生活を楽しんだりとか、雇用の機会を得たりとか、または一緒に旅行に行けるとか、ごく当たり前のことです。実はそれができていないというのが、今の社会の現状だと思います。例えば車いすの利用者を例にとると、車いすの利用者が困るのは段差だけではありません。仮にエレベータやスロープを完備した施設でも、困っているときや、道案内をして欲しいときに、そこにサポートしてくれる人がいなかったら意味をなさないわけです。   

これは障害者だけの話ではなくて、高齢者であるとか、あるいは子どもとか、より多くの人のことを考えたときに、ハードの改善だけでは済まないことのほうが、むしろ多くなる。そこで必要とされるのがユニバーサルサービスの考え方です。

 なぜ今、ユニバーサルサービスが必要になってきているのかといえば、世界でもっとも高齢化率が高い日本だからだと思います。高齢者になれば、目や耳とか、身体的な部分が自然現象として衰えてくる。そこで、生活インフラというものも、そのニーズ、対象となる人に合わせてサポートして行かなければいけない。これは、われわれの社会が既に直面している課題です。

 障害者というと、特別な人を思い浮かべる方が多いと思いますが、実は障害者の6割は高齢者に該当します。これは、いずれはだれもが障害者になる可能性があるということでしょう。もはや高齢者、障害者は特別な存在ではなく、私自身または私の家族、あなた自身やあなたたちの家族のことという、とても身近な存在だと言えます。つまり、そこに提供されるべきサービスとは、高邁な理論でも慈善活動でもなんでもなくて、必要不可欠なこととして捉えなおさなければならないということです。  

ハードに関する配慮はもちろん必要です。ハードとソフトを別々にではなく、いわば両輪と考えるとよいのではと思います。ハード面での改善が進みつつある状況に合わせて、情報やサービスの提供もより充実させて行くことが大切です。 その際には、いろいろなサポートの仕方があると思いますが、ユニバーサルサービスというのは、膨大な資金の投下がいらないところに特徴があります。

 ユニバーサルサービスの考え方が普及していくためには、私は「知識」と「意識」が備わっていなければならないと考えています。街中で困っている人たちをサポートしようとする「意識」を持つのに、大きな予算投下や、長い打ち合わせは不要ですよね。

 それでは、知識というのは何なのかといいますと私は講演などの機会に参加者に次のように尋ねます。「街中で視覚障害者が困っています。あなたはどうやって彼をご案内するかご存知ですか?」と。ほとんどの方は知らないと答えます。また、聴覚障害者とのコミュニケーション手段といえば、すぐに思いつくのは手話ですよね、では手話ができないときどうするのですか?と尋ねると、よくわからないと返ってきます。 これはイメージとして定着していると思うのですけれども、聴覚障害者というとすぐに手話を思い浮かべる。じつは聴覚障害者で手話ができるのはおよそ15%だけです。だから、それ以外に筆談であるとか、ゆっくりはっきりしゃべるとか、そういうコミュニケーションがあるということを知っているだけでも大きな違いがありますよね。

 他にも、例えば車いすを利用している人の誘導の仕方だとか、また、視覚障害者と会話をするときなどに、具体的な知識がないことが、そうした人たちとのコミュニケーションを阻害している。自分の兄弟や親、友人のような感覚で接することができなくなっているわけです。

 こうしたことが知識として備わって、障害者とのコミュニケーションが広がってくれば、彼らが誤解されたり、偏見を持たれたりすることは少なくなっていくと思います。これまで学校や職場で、一緒杖とめがねの画像に過ごす機会も乏しく、接し方を教えてこなかったことも、知識が普及していないことの一因でしょう。なるべく、子どもの頃は、一緒に学ぶ機会を増やしていくとか、あるいはユニバーサルサービスに関する内容を総合学習で取り入れるとか、そういうことをいち早くやってほしいと思います。そうすれば、高齢社会において、自分自身が困ったときに、何年後か、何十年かしたときに「助かったなあ、やっておいて」となるかもしれません。
                             摂津市 人権啓発指導嘱託員 橋本 邦夫


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